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子供の先天性難聴が治りました!娘の生後2年間の聞こえについて

私は現在女の子2人のママで、お腹には新しい命を授かっています。

そして、次女には先天性の染色体異常があり、その数ある奇形や障害のひとつとして、

産まれながら高度の難聴と診断されてきました。

 

と言っても、今回はその先天性の難聴が治ったお話!

西洋医学では、先天性の小児難聴は治ることはないと言われています。

 

そこで、今回は本当に私のプライベートな部分のお話。

みなさんが子供を授かった時の気持ちを振り返るきっかけになればと思い、このことを記事にしようと思いました。

 

ちょっと長くなりますが、よろしければお付き合いください。

 

耳が聞こえるようになりました!

 

子供 コストコ

娘の障害は難聴だけでなく、身体の様々な部分に奇形があります。

けど、その中の難聴であることが私たちの中ではとても大きく、せめて少しでもよくなる手段があるなら!!!

という思いから、生後4ヶ月から1歳9ヶ月になる今月まで、

毎月2泊3日(1日30分×2回=6回)鍼灸院にて施術を受けて来ました。

 

北関東から治療院のある福岡県までは決して近いわけではありませんでしたが、通ってよかった!

今はそれだけです。

 

そして、今月2018年5月の施術を最後に、無事に卒業することができました!

 

今回は、その最後の施術に合わせて書いた『卒論』

今の思いを忘れず、いつまでも子供たちと向き合っていきたいと思うので、ここに残すことにします。




 

『卒業です!』卒業時:1歳9ヶ月 ◯◯県在住 女児

生後0ヶ月

NICU

2016年8月、次女を授かりました。

長女は破水から始まり、3時間の超スピード安産。

私自身も根っからの体育会系で、身体に何不自由無く育ち、もちろん2人目も当たり前のように元気に産まれてくるものとしか考えていませんでした。

 

思っていた通り、主人とお姉ちゃんが見守る中、次女も陣痛から3時間とかからない超スピード安産。

 

何度味わっても言葉にできないほどの出産の喜びを噛み締めながら、翌日から母子同室となるのを楽しみに、何年かぶりに1人で寝るベットの感覚すら楽しみにしていた矢先のことです。

 

ちょっと慌てた様子で病室に入ってきた先生と看護師さんから。

「赤ちゃん、とっても元気ですが・・・」という前置きに続いて「飲ませた白湯が鼻から出てきてしまいます。それと、心雑音が気になるのでこれから総合病院に救急搬送しますね。」というものでした。

 

え・・・?

 

分娩室で横になる私の腕の中に、ほんの数分だけ横になっていた娘の感覚を次に確認する時には、すでに救急隊員に受け渡すために保育器の中に入れられた小さな娘の姿でした。

もちろん私はお産から数時間しか経っていないため、主人が搬送先の病院へ向かうこととなりました。

 

娘に出会えた喜びに浸る間も無く、一人残された病室での生活。

廊下からは耐えることなく赤ちゃんの泣き声が聞こえて来ますが、娘はここにはいません。

 

翌日からすぐに娘の検査は始まりました。

心臓・腎臓・鼻・口・耳、私が退院するまでの数日の間に、娘の身体には様々な奇形が見つかっていました。

 

そして、最後に告げられた「耳がほとんど聞こえていません。」という先生の言葉に、私は主人の隣で、何かがプツっと切れたかのように、子供のように声を上げて泣くことしかできませんでした。

(生後5日:ABR 両耳100dB 人工内耳宣告)

NICU

 

娘が生まれてからまだ数日。

検査を重ねるごとに毎日新しく見つかる娘の障害を受け止める間も無く、「耳が聞こえない」という事実が、私の中では1番ショックだったことを今でも鮮明に覚えています。

 

お腹の中にいた頃から、毎日語りかけている私たちの声も、娘には全く届いていなかったんだ・・・

音のない世界ってどんなに不安だろう?

両耳を塞いで娘の感覚を感じてみたいと思っても、実際にはただ不安が大きくなるばかりで、解決策なんて何一つ見つかりません。

 

だけど、娘が選んでくれたのは私たち。

きっと障害を持って産まれて来たことも、この子が次女として私たちのところに来てくれたことも、きっと意味があって、私たちだから出来ることがあるはず!

 

そうとしか思えない!

というより、その時はそう思わなければ立っていられなかったと思います。

 

そんな中、主人が探して来てくれたのがさとう先生でした。

場所は福岡。

九州にすら行ったことのない私たちでしたが、私たち夫婦にとって、距離を理由に通うことを諦めるという選択肢は1ミリもありませんでした。

 

まだ退院していない病室から、先生に電話をしたところ、今思えば木曜日。

お休みだったのに先生は折り返し電話をくださり、長いこと私の話にいつもの優しい声で付き合ってくれたことを今でも覚えています。

それがただひとりで病室に残された私にとって、どんなに支えになったことか。

 

生後3ヶ月

ABR 聴力検査

それから生後3ヶ月のABRの検査結果を待ち、奇跡的に翌月から予約を取ることができました。

順番待ちの患者さんが50人を超える今、こんなにも早く予約を取ることが出来たことも今では奇跡のようです。

(生後3ヶ月:ABR 両耳80〜100dB

 

初めての施術を受けるまでの時間は、本当に長くてもどかしくて。

だけど、私たちにできることが見つかった!そんな気持ちからか、家の中はとても明るく、笑い声は絶えませんでした。

娘が退院してからは、お姉ちゃんと同じ物を見て、同じ音を聞かせて、みんなで普通の家族と変わらない同じ時間を過ごしました。

 

ただ・・・

お昼寝をする娘の隣で、どんなに騒いでも掃除機をかけたとしても、音に反応して目を覚ますことのないその姿に、「やっぱり聞こえていないんだ・・・」と感じる私がいたことも事実です。

 

生後4ヶ月

鍼灸院

そんな日々を過ごし、初めての施術の日を迎えました。(生後4ヶ月)

 

私たち家族と同じように、優しく娘の名前を呼びながら「もう聞こえるようになっていいんだよ。一緒にがんばろうね。」と声をかけながら施術をする先生の姿にはとても驚いたし、心から安心しました。

その瞬間から、私たちの中に迷いは消えていたと思います。

 

初めての施術から、娘の身体の反応は明らかでした。

身体はどんどんポカポカしていくし、おしっこの量やうんちの量はもちろん、翌朝の顔付きは今までに見たことのないほどにスッキリとしていました。

 

生後5ヶ月(呼び声に初めての反応)

空 飛行機

それから1ヶ月。

2度目の福岡から帰って来て2日後のことです。

 

娘は普段の生活の中で名前を呼ぶと、その声に反応して振り向くようになっていました。

「え?まさか?」思わず大きな声で仕事中の主人を呼び、「見ててね!見ててね!」と言いながら、何度も名前を呼んで娘を振り向かせては、あまりの嬉しさにお姉ちゃんを抱きしめて泣きました。

 

そして、もちろんすぐに動画を撮り、先生に送信!!!笑

あまりの嬉しさと驚きに、その瞬間の喜びを伝える以外に何も考えられませんでした。

 

↓ これがそのときの実際の動画です。

名前を呼べば振り返る。

そんな当たり前のことが言葉にならないほど嬉しくて、そんな小さな成長に、日々気が付き、喜べることが増えていきました。

 

生後6ヶ月

子供 ベビーカー

病院での検査結果では、思いもよらない数字が出たことに、喜びしかありませんでした。

(生後6か月:ABR 両耳40dB 補聴器も必要ないと言われました。

 

それから我が家では病院での聴力検査は受けていませんが、日常生活の中で「聞こえない」と感じることはほとんどありません。

(ABRは、睡眠導入剤を使っての脳波の検査です。子供の身体にもとても大きな負担になるため、あまり進んで受けたくはなくて・・・。)

 

ですが、難聴は娘が持って生まれた先天性の障害(22q.11.2欠失症候群)の1つの症状に過ぎず、他の障害のこともあり、先生からは「2歳を目安に完全に卒業しましょう。」と、耳に関しては卒業したものの、もう少し通わせていただけることになりました。

 

生後1年

精密検査

生後1年が経ち、心臓の奇形を含め、精密検査を受けることになりました。

 

すると、結果は驚くことに!

生まれつき右寄りにあった心臓は本来あるべき位置に戻り、構造は正常な心臓とは違うものの、本来ならもっと小さい頃に生活に支障が出て手術を受けるのが一般的と言われているものも、手術を受ける必要がないほどに問題は改善されていました。

 

この頃には、生まれつき腎臓が一つしかなかったため、毎日飲んでいた薬も数値が正常になったことで薬も飲む必要が無くなっていました。

 

病院の先生までもが、口を揃えて驚く結果です。

 

それからも、福岡に来る度に不思議なほどに娘の成長を感じていました。

 

発達・知的共に障害が出ると言われ、生涯歩けないかもしれないとまで言われていた娘が、初めてつかまり立ちをしたのも、数歩足が出るようになったのも、鍼灸院の中でのことでした。

 

その度に先生や〇〇さん(事務の方なの匿名で)、そこに居合わせたお母さんたちと、本当の家族のように喜んで大声で笑いました。

 

生後1年9ヶ月

庭 子供 ゴルフ

おかげで、歩き始めは1歳6ヶ月と、ちょっと遅めではありますが、1歳9ヶ月になる今では、小走りをしたり階段を登ったりするほどに成長しています。

 

名前を呼べば駆け寄って来るのはもちろん、歌に合わせてリズムを取ったり、お風呂からの呼び出し音には洋服を脱ぐそぶりを見せたり、まだ言葉は出ないものの、喃語らしき言葉も出てきています。

今では難聴だったことすら、忘れてしまうほどです。

 

そしてこの度、私の3人目の妊娠がわかり、臨月を迎える前に卒業することになりました。

妊娠がわかってまず頭を過ったこと。

それは「きっと娘はもう大丈夫なんだ。だから、神様がまたひとつ私たちにプレゼントをくれたんだ!」という、そんな感覚でした。

 

先生・◯◯さんへ

子供 飛行機

さとう先生には、娘に『聴こえ』と『健康な身体』を授けていただいたこと、そして『子供の力を信じる大切さ』を教えていただいたこと。

これほどの感謝の気持ちを表す言葉が、ありがとう以上の言葉がどうしても見つからないのですが。

 

本当に本当にありがとうございました!

 

先生と〇〇さんとの姪浜での時間は、聴こえだけでなく、親として大切なものをたくさん教えていただいた、とっても貴重な時間だったと、本当に心から感謝しています。

 

娘たちがもう少し大きくなって、お腹の赤ちゃんが元気に産まれたら、厳しいながらもいつもそっと私を支えてくれている主人と、家族揃ってまた姪浜に遊びに行きたいと思います。

 

お休みもほとんどなく、自分の身体よりもいつも子供達のことを思いながら施術をしてくれるさとう先生。

絶妙なスケジュール調整と、お母さんのようにいつも一緒に笑ってくれる◯◯さん。

何よりもお身体を大切に。

これからもたくさんの家族の笑顔と、夢と希望を叶えてあげてください。

 

本当に素敵な2年間を、ありがとうございました。

 

お父さん、お母さんへ!

子供 砂場

お互いに、これからも笑顔絶えない素敵な子育てを楽しんで行きましょう。

 

赤ちゃんの飛行機はいつから?絶対泣かないフライトのための8つのコツ

まとめ

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

実は、正直なところ私自身あまり西洋医学を信じるほうではなかったとは思いますが、今は間違いなくここで救われたと感じています。

娘を授かって、NICU・GCUでの入院生活も、先生や看護師さんがとっても支えになってくれたので、安心して入院生活を送っていましたが、やっぱり自宅に帰ってきてからは心配も絶えませんでした。

NICU GCU ノート

 

そして、福岡まで毎月お姉ちゃんと主人を残して通う時間。

時には福岡までも付き合ってくれたり、私が留守の間お姉ちゃんの幼稚園の送り迎えを含め、常にサポートしてくれて居た祖父や祖母、妹たちにも感謝しかありません。

決して私たち夫婦だけの力で乗り越えてきたものではないと思います。

 

その時間があっての今があることは間違いありませんが、私の30年以上の人生の中で、一番成長した2年間であったことも言うまでもありません。

 

子供のパワーって、本当に計り知れなくて。

その子供の力を信じることがどんなに大切で、大変で、素敵なことかを改めて感じることができたとっても貴重な経験でした。

 

子供が健康に五体満足で産まれてきてくれることって、自分で理解していた以上に本当に本当に奇跡的なことで。

勉強ができないとか、ご飯を食べてくれないとか、欲ばっかり出てきちゃうこと、あまりよくないなーって思ったりするけど・・・

やっぱり、「ままー!」とか、早く言ってくれないかな?とか思っちゃうんだけどね♡

 

そんな一つひとつの小さな成長を楽しみながら、これからも大切に子供と関わっていけたらと思います。

世界中のたくさんのパパとママ、子供とのかけがえのない時間をお互い思いっきり楽しみましょう!

 

あー!

たくさんぎゅーってしてあげたい!!!笑

 

↓ 通っていた鍼灸院はこちらです。

さとうのぶお鍼灸院(旧:セタガヤ診療室)

 

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